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堕落しかけた頃


 方証相対論による日本漢方は自分なりにかなりなレベルまで把握して来た自惚れがあり、これ以上、日本流を学んだところで、大して得ることはないなどと、僭越にも既に日本流の限界を感じてしまっていた。
 このまま安易に自分に妥協してしまって、日本流の閉塞的な方証相対論の世界に舞い戻り、中医薬学の修得を諦めるのか。

 日々の仕事においては、日本流の漢方のみでも、喰うに困ることはないのだからと、堕落の道に陥り始めたようである。
 とうとう、趣味のチヌ釣りに逃避し始め、仕事の方は、安易な日本流でお茶を濁すことでも、ほどほども仕事にはなる。怠け始めて後、二~三年は、釣三昧の人生である。
 しかし、それにしても中医学の魅力は捨てがたかったのだが、どうして修得できないのか。複雑な理論を実践に応用する有機的な理解がなされていないことは確かである。
 釣に熱中した初期の頃(5年前頃=平成18年からは22年前)は日本流に逆戻りして投薬していたが、中医薬学の実践に情熱を燃やしていた時の充実感はない。
 おまけに効く効かないに関わらず、常に選薬時の不安がつきまとう。

 理論の乏しい民間療法的な日本漢方のレベルの低さを徹底的に思い知ったのはこの頃であった。
 中医薬学には理論と実際が直結する合理性、及び科学性があるのに、それに引きかえ日本漢方には一体何があろうというのだろうか?

 逃避していたかに思えていた釣りの世界はしかし、自信というものを教えてくれるものでもあった。一番難しいと言われるチヌ(黒鯛)を釣る為に、集中的に海に通い始め、結局は短期間の内に、チヌ釣り歴が数十年のベテランの平均値を、数の上でもサイズの上でも、ほんの数年間で追い越してしまった自身は得がたいものであった。

 中医学のマスターもこれだと悟り、日々の仕事は、時間と労力を消耗する煎じ薬の仕事を減らし、諦めかけていた中医学の基礎理論、中草薬学、及び方剤学の学習を本格的に再開したのである。実践面においては、常に弁証論治の法則に従ってきめ細かな分析を心がけ、体質、病因、病理を認識しての治法の設定。
 これらの実践を常に心がけながら、たとえエキス剤であれ、中医学的考察を繰り返し、安易に日本流で考えないようにつとめる訳であるが、長年の習慣である処方毎のパターン認識漢方を完全には克服することができない未熟さに、歯痒い思いを感ずることもしばしばであった。
 まだまだ中草薬に対する認識の浅さが問題なのであろうと、学習面ではこの分野には特別な力が入った。

 こうして常々中医学的な論理的思考を努力して行けば、書物による学習がそのまま身になって来る。次第に中医学全体が見渡せる感じが掴めかけたものの、もう一つしっかりした全体観を把握するまでには到らない。
 効く効かないに関わらず、選薬時における一抹の不安が拭い切れない。ダラダラと中医薬学の学習を十年以上も続けながら、情けないことであった。

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