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日本漢方の優れた点


 正直に告白すると、この点については日本漢方の方剤学における些かの体験的な面白い成果以外には、それほどの価値を認める気にはなれない。
 過去、近藤良男先生が本誌(和漢薬誌)347号に発表された「疾医の道を往け!」と題された玉稿の中で、

 「十年か二十年『漢方的』なことに手を出して『漢方の前途がどうだこうだ』とは何ごとかと云いたいのである。」

 とのお言葉は、今も胸に響くのであるが、私にとっては、吉益東洞の偶像は既に崩壊してしまった。
 病因や病態の認識もできず、薬物についての貧弱な認識しか持たない日本漢方が、果たして医学薬学と言えるものかどうか?
 昨今のように西洋医学畑の人々から好きなようにもて遊ばれるのも尤もなことで、合理的な科学性を殆ど持たない日本漢方は、「学」ではなく「術」であるなどと主張していたら、今に西洋医学の中に「吸収合併」されて、消滅してしまうに違いない。
 漢方のベテランの先生ですら、中医学言語や理論を「前近代的、非学術的」などと、訳の分かったような分からないような概念であしらわれる困った世の中である。

 我々日本人は複雑な理論や理屈を好まず、直ぐに単純化したり、自分等の都合の良いように改良(というより改悪)して本質を忘れてしまう悪い習性があるように思われる。
 吉益東洞以来、日本の漢方が如何に本質を見失って来ていたことか。
 吉益東洞の存在は当時の歴史的、地理的、環境的(梅毒が流行した等)な制約の為に、止むを得なかったとしても、いまだにその流れが日本漢方の主流である現実は、何とも不思議と言う他はない。

 基本思想や哲学をおろそかにし、お隣の本場中国での発展を無視し続けてきたツケが、今頃になって回って来たことを自覚するべきだと思うのである。

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